突拍子もないタイトルですみません。終戦の8月になるとあらゆる媒体で第二次世界大戦のことが語られます。私は会社で非常につらいことがあると、よく戦争の記事や録画DVDをみて「戦争に比べたら会社の苦しみなんて・・」と自分を奮い立たせていました。そう、戦争に比べたら今は天国なんです。
戦争の悲惨さを今一度
戦争の日常はすぐ隣に「死」があります。惨事は単なる死にとどまりません。
足や手がもげたり、内臓が飛び出たりという凄惨な光景が日常のように繰り広げられます。戦争は戦場だけでなくB29が飛来する度に、女性でも子供でも容赦なく犠牲者にしていきます。
沖縄においては火炎放射器に焼かれた人が炎まみれで歩いていたり、広島では被爆者は皮膚がめくれた肌から神経が露出し死より辛い激痛に苛まれたりします。
その悲劇が自分だけでなく最愛の肉親にも襲いかかるのです。
地獄のようなという形容がありますが、戦争は地獄そのものなのです。たとえ生き延びても今日でさえまだ悪夢にうなされる人や、あまりに凄惨な記憶故に口を閉ざして語れない人も本当にたくさんいらっしゃいます。
戦争は遠い過去ではない
翻って現代はどうでしょう。戦後76年間、平和な時代が続いています。
76年間って昔のような気がしますか?でもあなたのおじいちゃんやおばあちゃんが実際に体験してきたついこの間の出来事なのです。私の伯父さんも東京大空襲後の死体処理にかりだされ、私の兄でさえ傷痍軍人と言われる手や足がない軍人さんをたくさん見ています。
76年は長いように思えますが、人類史からみるとタッチの差ともいうべき短い年月です。私たちがもし76年前に生まれていたら間違いなく戦争の当事者となっていました。
あえて戦争と会社を比較してみる
で、一気に現在に戻ります。
どんな悩みでも防空壕に隠れなくて済むし、身体が傷ついたり命を落とすこともありません。また誰かを殺す必要もないですよね。
なんて幸せな日常なんでしょう!
でも日常という現在だけの小さな視点ではなく、終戦記念日でもあるこの8月にすこし視野を拡げて70数年前に思いを馳せることは決して無駄ではないと思うのです。
戦争時代と現代の違い
あの頃の若者は神風特攻隊として死を前提とした任務についたのです。ニュース画像には敵戦艦に突っ込む零戦機が映っていますが、末期には護衛もないなかで敵艦にも近づけず絶望的な突撃を繰り返していました。ただ死ぬためだけに。
失職しようが事業に失敗しようが五体は傷ついていないし、住むところも着るものも食べるものも目の前にいくらでもあります。赤紙も来ないから、あなたは明日からも自由で好きなところで好きなことをすればいいのです。
今に生きる幸せ
76年間も平和な時代が続くこと自体が歴史のなかで稀なことです。
天下統一された後、明治維新までは泰平と言われていますが士農工商というヒエラルキーが存在し、真の自由はありませんでした。今はたとえ生まれた環境が悪くても立身出世のチャンスはたくさんあります。
もちろんいいことばかりではありません。私も会社人生でイヤというほど苦労はしました。
しかし戦争に比べたらものすごく小さなことだと思うのも事実です。
斜に構えて現代を憂うのは簡単です。自分が幸福ではないと証明するのもいいでしょう。
しかし本当の意味で国を思い、またそう思うことで自らの死を意味づけるしかなかった先達の夥しい犠牲を前にして、今は本当にいい時代だと声高に認めるのも私たちの義務のような気がします。
なので会社のことで凹んでいるときは、この時期にたくさん放映される戦争のドキュメンタリーを見ることをお勧めします。何か感じるものがきっとあると思います。
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