【後悔】はとても尊い

誰にも後悔はあります。後悔はネガティブな単語ですが、とても尊いものでもあります・・といっても後悔があるから反省もでき成長に繋がるといった話ではありません。後悔そのものに値千金の価値があると思うのです。それは後悔するにはある種のパスポートが必要だからです。

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後悔はしたくない?

私は会社(仕事)で後悔したことは山ほどあります。記憶から消したいような失敗や身悶えるほどの恥ずかしい思いとか挙げるときりがありません。ちなみに失敗と後悔は似て非なるものです。失敗とは単なる試みの結果で行動の途中経過ですが、後悔とは行動の結論がでた後、それが目論見と外れて悔いが残るマイナス感情です。

もうずっと前になりますが、数々の後悔は思い起こすのもイヤなので自問自答してみました。

後悔を消し去るために何でも出来るとしたら何をするだろう?

そうか、後悔しないためには、時を戻してその原因となった行動をしなければいいんだ。

そう結論づけたとき、もうひとつの想いが頭をよぎりました。

何もしなかったら後悔することもない、でも行動しなければ(当たり前だけど)何も起こらなかった・・。

その考えに至ったとき、後悔はしたままでもいいかと思い直しました(笑)。その理由はつぎの通りです。

後悔するには資格がいる

後悔は結果から湧き出る感情ですが、その結果を目の前にするには行動が必要です。アウトプットはインプットに連動して発生するものです。アウトプットが後悔であれ満足であれ、行動というインプットの存在が必然です。つまり

『後悔』にまでたどり着くには行動という名のパスポートが必要なのです。

そして仕事上の行動とはチャレンジと同義語です。

後悔しなくてすむことは簡単です。動かず、何にもチャレンジしなければ後悔をすることもありません。しかしチャレンジしなければ成長も成功もないことは、私が言うまでもなく無数の媒体が論じてくれています。

満足とでるか、それとも後悔となるかのルーレットはチャレンジした勇者にしか回せません。後悔が怖くて参加を降りる者はプレイヤーにさえなれないのです。そしてルーレットを回さなければ、チャレンジの結果どのような将来が待っていたかは永久にわからないままなのです。

そう考えると身悶えするような後悔でさえも、チャレンジの証として尊いものに思えてくるのです。

後悔の正体

後悔は元々ネガティブな単語ですが「○○したほうがよかった」と悔いることは、ひとつの学習です。失敗には「成功のもと」という前向きの言葉も用意されていますが、後悔にはセットとなった前向きの言葉はありません。それ故、マイナスのイメージが際立ちます。

しかし後悔は味わうには苦すぎますが、傍観者には与えられることのないギフトであることも間違いありません。そう、後悔は必ずしも忌み嫌うものではなく尊いとも言えるのです。

「後悔」は栄養素を混ぜると水底に溜まる澱(おり)のようなもので、綺麗な水色を保つための副産物みたいなものです。この澱(おり)の発生がなければ、そもそも水色は無色透明な味気ないものに成り果てていたかもしれないのです。

綺麗に表現しようと頑張ったんだが、文章がとっ散らかってるかな?
大丈夫、アウト寄りですがギリセーフです(笑)。

二種類の後悔

また後悔にも「やった後悔」の他に、「やらなかった後悔」の二種類があります。今までは「やった後悔」について尊いと書いてきましたが、「やらなかった後悔」についても述べておきます。

巷間よく言われるのは

「やらなかった後悔のほうが、やった後悔より大きい」

です。

これについて正直に言うと、どちらのほうが後悔が大きいかはケースバイケースだと思います。私自身、振り返ってみてやらなくてよかったということも少なからずあるからです。

ただ少なくとも若い頃、具体的に言えば40代くらいまでは「やったことの後悔」は大いに経験すべきだと思っています。

私は自分の輝くステージ探しのためには会社なんてやめたっていいと、このブログで書いてきました。それはやり直しのきく期間は転職をはじめとして動くリスクより遙かに動かないリスクの方が大きいと思うからです。

会社人生がまだ長いときは業務上の経験の蓄積はとても重要です。自分の体験を振り返っても失敗や後悔からしか学べなかったことはたくさんあります。逆に取り返しのつかない後悔なんてありませんでした。

ですからあなたも若いうちはどんどんチャレンジし、たとえ後悔をする結果になっても名誉の向こう傷、もしくは自分史を飾る記念碑だと思ってください。

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